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文学エッセーI
カフカの『変身』に隠された
もうひとつのテーマ
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 『変身』は、皆様よくご存じの主人公が虫に変身するという小説である。簡単にストーリーをご紹介すると、家族のために朝早くから会社で不向きな営業の仕事をする生活にうんざりしていた主人公、グレーゴル・ザムザは、ある朝、突然ベッドの中で自分が巨大な害虫に変わっていることに気がつく。動揺する間もなく家族(父・母・妹)の反応に衝撃を受け冷静さを取り戻すのだが…。戸惑う家族にとって、グレーゴルは虫になっても家族ではあるが、世間に隠して世話を続けることは絶望でしかなく、次第に虫になったグレーゴルは厄介者になっていく。グレーゴルと暮らすことに限界を感じ始めた頃、ザムザ家に救世主が現れる。

 2人の女中がやめて、3人目にやってきた家政婦である。年老いた未亡人の家政婦はグレーゴルを見ても驚かず、親しみをこめて「クソ虫」と呼び、ちょっかいまでかけようとする。当のグレーゴルは大柄で白髪で骨ばったがさつな家政婦が苦手なのだが。やがてグレーゴルは父親が投げたリンゴから受けた傷を負いどんどん衰弱していく。意識が遠のく中で愛情をもって家族のことを思い返し、「人間」のように息を引き取るのである。

 それからは家政婦の大活躍である。グレーゴルの死を家族に報告し、悲しみに打ちひしがれているはずの家族に笑いながら、「もうちゃんと
やりましたから」と死骸の処理の報告をしたのだ。まるで現代日本の葬儀屋のような手際の良さだ。現代の日本では、人が亡くなれば、葬儀屋がすべてを手配してくれ、家族は泣いていればよいのである。

 この物語は残された家族が3人で電車に乗って郊外に出かけるシーンで終わる。ピクニックにでも行くように楽しそうな3人の心の中から虫として死んでいったグレーゴルのことはすっかり消え去り、人間だった時のグレーゴルの思い出だけは残っている。家族の物語はハッピーエンドになったのである。
すべては家政婦のお手柄である。生活に困窮している家庭に家政婦を雇う余裕はないはずだが、ザムザ家の家族はそれぞれが仕事をしている。家族が稼いだお金で、他人の家政婦にグレーゴルの部屋を含む家の掃除を頼むことは、家族の精神衛生の面からも効率のよい考え方だろう。家政婦は二人の女中と違いグレーゴルを嫌がっていなかったのだから。

 「介護は家族で抱え込まない」。本作をこのように解釈しては、カフカは憤慨するだろうか? 20年以上前、日本に介護保険制度が導入されたとき、家族(両親)の介護は家族(嫁・娘・息子)がするもので、お金を支払ってまで他人に介護を任せることには随分抵抗や批判があったと聞く。しかし今では介護は家族で抱え込まず、他人の手を借りた方がいいという考えが浸透し、高齢者の終の棲家が高齢者施設だという家庭が随分多い。日本の介護保険制度はドイツから始まったものであり、社会を見通す目をもっていたカフカは本作『変身』執筆(1912年)当時から、家族の介護問題にまで思考を巡らせていたのではないだろうか。

カフカ/丘沢静也訳『変身/掟の前で 他二編』光文社 2007
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